2020年の日本と、バーリンの『二つの自由概念』
2021.01.05
そもそも論で「自由」って語の定義はなんだろう?
そのように考えたことをきっかけに20世紀初頭のイギリスの哲学者アイザイア・バーリンの『二つの自由概念』という思想についていろいろ考えています。
バーリンは「自由」というものを、
・「積極的自由」
(passive freedom)
・「消極的自由」
(negative freedom)
の二つに分けています。
一つ目、積極的自由とは「〜する自由」と言われているようです。
自己実現や自律を意味するもののようです。自分の本当の欲望を満たす自由、合理的な生活を送る自由、など。
ここで一つ面白い着目点があります。
バーリンは欲望や惰性に負けてしまうことも「自由ではない」と定義しています。
・電車の中でついついスマホゲームをやってしまったり…
(読むべき本があるにも関わらず)
・寝る前についついYoutube見続けてしまう…
(睡眠とって明日に備えるべきなのに)
このような状態は「自由ではない!」とバーリンは断じています。
(バーリンは積極的自由のことを「自分自身の主人であること」と言っています)
二つ目、消極的自由とは「〜からの自由」と言われているようです。
他人によって自分の活動が干渉されないことを意味します。他者による妨害の有無が大事なようですね。
日本だとなかば無意識的にこの恩恵を享受しているので、普段の生活でこの消極的自由について考えることはあまりないかもしれません。
バーリンの論っていうのは時代背景も相まって理解が難しいんですが簡単に論理構成をまとめると、
・歴史的に見て「積極的自由」の概念が全体主義国家に悪用されてきた
(「お前は強制されることによって自由になるのだ」的な…全体主義国家にありがちなこじつけに使われて悪用されてきた)
↓
・積極的自由を追い求めることは「最終的な回答が存在する」とした価値一元論と同様に非常に有害であった
↓
・自由や平等や正義といった価値は単一の価値に還元できないばかりか常に衝突する可能性を持っている
↓
・価値の多元主義を主張
↓
・それゆえにこそ「選択の自由(消極的自由)」が必要なのだと主張
と、なります。
なかなか難しいですので笑…
さらに噛み砕いてまとめます。
●「〜する自由」「自由がだいじ!」ってよく言うよね!
↓
●その自由を追い求めるってのが積極的自由なんだよね!
↓
●でもそれって「自由を追い求めた先に〇〇がある」っていう一つの回答やゴールがあることが多いよね!
↓
●その一つの回答やゴールって「固定された価値」だよね!
↓
●「固定された価値」をバチっと決めちゃうのって社会にとって危険だよね!
↓
●価値っていっぱいあっていいよね!
↓
●だから、選択の自由=消極的自由、ってだいじだよね!
このような感じになるのではないでしょうか。
じゃあ消極的自由って何かな?を2020年の日本を振り返って具体的に考えてみると、
・リモートワークが拡がって満員電車での通勤を回避できるようになった
(消極的自由の領域が広がった?)
・「自粛警察」や「マスク警察」などの言葉がうまれて周りの目を気にして行動している
(消極的自由の領域が狭まった?)
・感染拡大防止のために顔認証技術やトラッキングアプリの活用が広まった
(消極的自由を手放すこと?)
このように考えることができるのではないでしょうか。
まとめ
日本はそもそも論で民主主義国家で(2020年ある程度は)画一的な価値が追い求められている”積極的自由”国家だったと思います。
その裏表で消極的自由が制限されることが多かったのが2020年かなあ、と。
それゆえに消極的自由の存在を意識することが多かった。
その一方で”not画一的価値”という価値観が広まりつつあるのが2020年だったように思います。
(つまり多様性の許容)
それはつまり積極的自由がより本質的な意味(=人々の本質的な自律)を追い求めることが芽吹き始めたのかなあ、と。
● 本質的な意味での「積極的自由」価値観の萌芽
●「消極的自由」が制限されたことによってその裏表として「消極的自由」の再認識
が、2020年だったのかなあ、なんて。
さて。
2021年はどうなるのでしょうかね。
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この記事を書いた人
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株式会社MEETSHOPの取締役。得意なことは整理整頓と言語化。